梅雨の合間に星空を 2022
夏を前に夜明けの惑星集合が始まる -金生山-
夜半まで激しい雨にやきもきした第2回「金生山姫螢」写真教室・撮影会。予報に反して発光活動が始まる前には雨も上がり、快晴の星空となった 撮影を終えた受講者の皆さんが下山した後の金生山からは、夜明け前の美しい東の空が広がった。3年振りの観察会を雨上がりの快晴が祝していた 2022年は6月中旬から下旬の明け方に、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星の7惑星が全て集合した。第2回観察会の頃には、惑星が集まり始めていた。写真には金星、火星、木星が一列に並んでいる。惑星ではないが、秋の星座みなみのうお座の1等星フォーマルハウトも賑わいを添える この写真を見ると太陽系の惑星の軌道がほぼ同一の平面内にあることがよくわかる。と同時に、地球の自転軸(地軸)が公転軸に対して約23.4度傾いているんだと、納得できる ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーが発見した惑星の運動法則の内、ケプラーの第3法則(惑星の公転周期の2乗は軌道長半径の3乗に比例する)に、惑星の集合を見ながら思いを寄せる。ケプラーの第3法則は『世界の調和』(1619年)に発表されたが、この法則について日本では江戸時代の天文学者麻田剛立(1734-1799)もまた独自に発見している、これについては真貝寿明「麻田剛立とケプラーの惑星運動第3法則」(『大阪工業大学紀要』第61巻第2号所収、2016年)に詳しい 6月 20mm、ISO800、f2.8、1/5秒、Raw、三脚で固定撮影 α7M4 + FE 20mm F1.8 G |
鳥居と3惑星 -金生山-
鳥居の上に火星、木星、海王星が並ぶ 海王星は大変暗く、7.8等級ほどしかない。もちろん肉眼では見られない 撮影した画像を後で見直して、いや写っているんだと驚くことしきり 6月 35mm、ISO800、f1.2、4.0秒、Raw、三脚で固定撮影 α7M3 + Voigtlander 35mm F1.2 Aspherical SE |
梅雨空の月 -金生山-
梅雨空はどうしようもないと諦め顔で東の空を見ると、月齢18.6の月が出ていた 雲がかかっているので、ほんの一瞬だけの月見 冒頭の画像に関連して麻田剛立について触れた 麻田剛立はグレゴリー式望遠鏡で月面を観察し、詳細なクレーター図を残している。日本最古の月面観測図である。これについては児童図書だが『月のえくぼを見た男 麻田剛立』(鹿毛敏夫、2008年)がある。児童図書と侮るなかれ、大人が読んでも興味深い一書である 6月 350mm(フルサイズ換算525mm)、ISO400、f8.0、1/125秒、Raw、三脚で固定撮影 α7RM3 + E 70-350mm F4.5-6.3 G OSS |
ソフトピアジャパン・センタービルと月 -金生山-
もやっとよどんだ東の空、雲の切れ間から月が出ていた 梅雨のこの時期、星空は望めないとしても月ぐらいは撮りたいと思うが、なかなかうまくはいかない 6月 70mm(フルサイズ換算105mm)、ISO200、f5.6、2.0秒、Raw、三脚で固定撮影 α7RM3 + E 70-350mm F4.5-6.3 G OSS |
天の川に 流れる流星 ただ一つ -揖斐谷-
今年は梅雨入りしたとみられるとの発表後も、時折雲間から星空を望むことができた 6月の最後の夜、この夜の月齢は0.0の新月。例年なら梅雨まっただ中で星空など望むべくも季節だが、月のない闇夜に天の川が横たわった。少し靄がかかっているが、これだけ撮れるだけでも満足する他はない 右の山際にさそり座が沈もうとしている。赤く輝くアンタレスが目印。天の川には夏の大三角が見える 画像の右上のアルクトールスの下に散在流星が流れた。願いごとを唱える心の準備はなかったが、なんとなく幸せを感じるから不思議 6月 12mm、ISO1250、f2.8、60秒、Raw、LEE SP-31 ソフト №1使用、後処理としてダークノイズ減算、赤道儀で恒星追尾撮影 α7RM3 + FE 12-24mm F2.8 GM |
夏の大三角 1 -揖斐谷-
南天に雲が多く今夜もダメかと諦めようかと思っていたら、いつの間にか晴れ始めた とりあえず雲が写り込まないような方向にカメラを向けて撮影を始める 天頂に輝く夏の大三角を撮影 この画像はソフトフィルターとしてPRO1D プロソフトン クリア(W)を使用している。ソフト効果が弱めのフィルターで、はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル、こと座のベガなどの1等星が強調されているが、3等星のアルビレオなどは気づきにくいかもしれない。ちなみにアルビレオは見かけの二重星で、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にも登場することで知られている 7月 35mm、ISO640、f1.4、270秒(30秒×9枚)、Raw、ケンコーPRO1D プロソフトン クリア(W)使用、後処理としてダークノイズ減算後加算コンポジット、赤道儀で恒星追尾撮影 α7M4 + FE 35mm F1.4 GM |
さそり座α星アンタレスと球状星団M4 -揖斐谷-
南天のさそり座の1等星アンタレスとそのすぐ西1°の位置に大きな球状星団M4。M4は夏の南天を代表する球状星団で、実に見応えがある。条件のよい夜空であれば、肉眼でも位置がわかるはずだ。アンタレスのすぐ西(画像の右)、双眼鏡なら十分見つけられるだろう。アンタレスの右上には小さな球状星団NGC6144も見える この夜は屈折望遠鏡ではなく、E 70-350mm という望遠ズームレンズを撮影に用いた。カメラはα7M4。35 mmフルサイズ時は Lサイズ 7008 x 4672ピクセル (33 M)だが、APS-C時は 4608 x 3072ピクセル (14 M)。クロップしても14メガピクセルで記録できる。なお画角は1.5倍となるので、望遠端は 350mm が 525mm 相当となり、天体撮影にも十分活用できることになる 赤道儀のカウンターウエイトとして1㎏をのせてノータッチガイド撮影。以前は雲台にサードパーティーから出ているバランスプレートを挟んで前後のバランスをとって赤道儀にセットしていたが、現在はサードパーティーから出ている三脚座を使っている。アルカスイス互換の雲台へのセットも容易になり、バランスも良さそうだ。ノータッチガイドにも余裕が出てきた 三脚座の具合がまだつかめないので、ISO感度を上げて30秒間露光として連続撮影している。ガイドエラーもなさそうなので、次回はもう少し露光時間を伸ばしてみたい それにしても揖斐谷から撮る南天は光害が邪魔をして、なんとも仕方がないというべきか。おまけに空気の透明度もよくない。残念ながらどうも年々悪くなっているように感じる 7月 350mm(フルサイズ換算525mm)、ISO12800、f6.3、300秒(30秒×10枚)、後処理としてダークノイズ減算後加算コンポジット、赤道儀で恒星追尾撮影 α7M4 + E 70-350mm F4.5-6.3 G OSS |
天の川 全天を横切る -揖斐谷-
速報値では異例に早い梅雨明けの今年。9月に訂正されるかもしれないが、撮れる間に撮っておかなくては この夜の月没は23時29分、上弦の月 半月を割り込むようになると月明かりの影響も少なくなるが、この月齢ではなんとも明るすぎる 準備をしていると、暗くなった夜空に天の川が浮かび上がった はくちょう座のデネブのすぐ横にある北アメリカ星雲も目視できるほど透明度が高い夜だった 天の川中の左上にペルセウス座の二重星団hχ(エイチ・カイ)が見える。カシオペヤ座のすぐ左にはアンドロメダ座の大銀河M31が存在感を見せている まさかこの夜が立秋前、最後の星空撮影になるとは思ってもいなかった 7月 12mm、ISO1600、f2.8、480秒(60秒×8枚)、Raw、LEE SP-31 ソフト №1使用、後処理としてダークノイズ減算後加算コンポジット、赤道儀で恒星追尾撮影 α7M4 + FE 12-24mm F2.8 GM |
沈むさそり座 -揖斐谷-
揖斐谷ではこの構図は4月末から5月にかけての未明に撮影することが多い。この夜は日付が変わる前の撮影。例年なら梅雨のまっただ中で、星空撮影は望めない時期だ 南天は光害が著しくて、おまけに雲も出ている。それでも、深夜前にこの構図が撮れることに驚く 7月 12mm、ISO1250、f2.8、480秒(60秒×8枚)、Raw、LEE SP-31 ソフト №1使用、後処理としてダークノイズ減算後加算コンポジット、赤道儀で恒星追尾撮影 α7RM3 + FE 12-24mm F2.8 GM |
夏の大三角 2 -揖斐谷-
天頂に輝く夏の大三角、パート2 この画像はソフトフィルターとしてケンコー PRO1D プロソフトン[A](W)を使用している。PRO1D プロソフトン クリア(W)に比べてソフト効果がやや強めのフィルターで、はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル、こと座のベガなどの1等星に加えて、3等星なども強調されて賑やかな星空となった。「夏の大三角 1」と比べてみて欲しい この2種のフィルターの使い分けは、写野に星空以外にも地上風景などを含む星景写真の場合はプロソフトンクリア、星野写真の場合で、広角から超広角レンズの場合はプロソフトン[A]といった感じで使うことが多い 7月 35mm、ISO640、f1.4、270秒(30秒×9枚)、Raw、ケンコー PRO1D プロソフトン[A](W)使用、後処理としてダークノイズ減算後加算コンポジット、赤道儀で恒星追尾撮影 α7M4 + FE 35mm F1.4 GM |
移ろう季節 天の川は夏から秋へ -揖斐谷-
深夜に日付が変わって、撮影日はなんと新暦の七夕の未明 新暦の七夕は梅雨まっただ中であることが多いので、星空は普通は期待できない。伝統的な七夕は太陰太陽暦(旧暦)に基づいているので、一般的に梅雨が明けているとが多い。しかしなんと今年は、新暦の七夕にこの快晴の星空 さすがに靄が立ちこめ、光害を反映して赤くなっている。しかし山から立ち上がる天の川には、秋の星座のカシオペヤ座に続いてペルセウス座も顔を出した。天頂の夏の星座、こと座とはくちょう座は西へ傾き始めている。星の巡りは季節の移ろいを告げる 2022年のこの時期は東の空に惑星が勢揃いする。画像の右下、光害を受けて赤く靄かかかった部分に火星が、その右上にはひときわ明るい木星が姿を見せ始めた 7月 12mm、ISO1600、f2.8、240秒(60秒×4枚)、Raw、LEE SP-31 ソフト №1使用、後処理としてダークノイズ減算後加算コンポジット、赤道儀で恒星追尾撮影 α7M4 + FE 12-24mm F2.8 GM |
沈む夏の星座 -揖斐谷-
夏の大三角が西の山際に沈み始める。揖斐谷のこの地点で撮る西天は光害が少なくて、星座も美しい 天の川の中央にはくちょう座のデネブ、左上にわし座のアルタイル、天の川の下にはこと座のベガ。天の川を右上にたどっていくと秋の星座、カシオペヤ座。ペルセウス座の二重星団hχも写っている 7月 12mm、ISO1600、f2.8、480秒(60秒×8枚)、Raw、LEE SP-31 ソフト №1使用、後処理としてダークノイズ減算後加算コンポジット、赤道儀で恒星追尾撮影 α7M4 + FE 12-24mm F2.8 GM |
夏の大三角現る -揖斐谷-
東の山際から夏の大三角が姿を見せる 薄明終了直後は快晴に見えたが、すぐに霧に覆われ星空は姿を消した これだけ毎日猛暑が続くのだから、確かに梅雨は明けたのだろうが、熱い空気は夜になっても収まる気配がない 星たちはあっという間にガスに隠れた 7月 20mm、ISO800、f2.0、480秒(60秒×8枚)、Raw、ケンコー PRO1D プロソフトン[A](W)使用、後処理としてダークノイズ減算後加算コンポジット、赤道儀で恒星追尾撮影 α7M3 + FE 20mm F1.8 G |
光害の夜空を流星一筋 -揖斐谷-
上空の風が弱いのかな。なかなか雲がとれない。北天は快晴なので、気長に待つことを決めで準備に入る。 街灯が明るく照らす中、長大な流星が流れた。 街灯の光と雲さえなければと思うのだが、まあそれは贅沢というものだろう。 7月 12mm、ISO1250、f2.8、60秒、Raw、LEE SP-31 ソフト №1使用、ノイズリダクションなし、赤道儀で恒星追尾撮影 α7M4 + FE 12-24mm F2.8 GM |
【あれこれ ひとりごと】 金生山ヒメボタルの季節が終わって、体調を崩して病院通いとなった。HPの更新も2か月以上滞った。 2022「金生山姫螢」観察会は3年ぶりに2回とも開催された。観察会と日程を分けた「金生山姫螢」写真教室・撮影会も2回開催することができた。 今年の「金生山姫螢」は計4日間の開催だったが、同時進行で岐阜シティータワー43では篠田通弘の写真展、ぎふチャン・アートギャラリー写真展「金生山ヒメボタルの世界」が1か月間開かれた。今回はギャラリートークの開催は見送ったが、写真展を見学された方の中には観察会へ足を運んでいただいた方もあり、観察会で声をかけて下さったりと感謝を申し上げるほかない。 私は公共交通機関の利用が不便な山の中に暮らしている。 自宅から岐阜シティータワー43まで往復70㎞、また金生山までは往復60㎞の道のり。 午前中に岐阜シティータワーへ車を走らせてギャラリーに在廊し、夕方には自宅へ戻って2、3時間の仮眠。その後、夜には金生山へ観察のために向かう。深夜の観察を終えて帰宅する頃には夜が明けている。データを整理し、少しだけ仮眠をとってから再び岐阜シティータワーへ。 食事もろくにとらずに、今年は40日間のヒメボタル観察。苦しい毎日だった。そして身体を壊した。 もっとギャラリーに在廊できればよかったし、ギャラリートークを開催してほしいという声も頂戴した。 「金生山ヒメボタル観察・観察会・写真教室・撮影会」と日程が重なるので、難しかった。 体力的にも経済的にも限界を超えていた。 若くないんだから、いい加減にもう止めたら、と言う人もいる。 具合が悪くなり、近隣以外は車で移動することができなくなった。 名古屋までの運転はもちろん、大垣までの距離でさえ車の運転は困難だった。 車の運転ができないので、金生山へは養老鉄道東赤坂駅から歩いた。炎天下に徒歩での移動はふらふら。熱中症だった。1Lの水では足りなかったが、山中とちがってコンビニも自販機もあるからここは町だなぁと思った。 今は具合も少しはよくなりつつあるように思う。 当たり前にできていたことができなくなるのは悲しい。 |
【あれこれ ひとりごと】 を追加 (8/31) (篠田通弘)
【あれこれ ひとりごと-その2-】 遠方へ車で移動することができなくなって、ひたすら本を読む毎日を送った。そして何度目かの高校数学の学び直しに今も時間を割いている。どこへ行くにも書籍と数学の問題集は手放せない。 猛暑の中をファストフード店で何時間も読書と勉強に過ごす毎日は、お店には迷惑この上ないことだろう。15年間クーラーを使わない生活をしている身でも、35度の室温は慣れない。 以前「なくても生きていける店はたくさんあるが、書店がなくなったら生きていけない」と話したら驚かれた。以前も今もSONYストア名古屋を訪れる最大の楽しみは、書店に足を運ぶこと。名古屋にはわざわざ立ち寄りたい書店がある。 一方、岐阜県内の書店は衰亡の一途。中学生の頃からお世話になった書店が次々と店を畳んでいる。今は形もない自由書房に大衆書房。夏休みには毎日といっていいほど通った。心に隙間があったり、何かを決めかねているとき、これらの書店で本を手にとると不思議と心が落ち着いた。子どもの頃から何も言わずに本だけは買ってくれた両親には感謝している。 現代は本が売れない時代という。いい書店ほど経営は厳しいのかもしれないが、残って欲しい書店はある。 毎月メールでお知らせが届く書店に京都の宝蔵館書店がある。 この8月で「宝蔵館書店ニュース」は265号を数える。 身体を壊してから、同「ニュース」で知った本も含めてこの夏に読了した本は次のようなものがある。 窪壮一朗『明治維新と神代三陵』(宝蔵館) 大澤広嗣『戦時下の日本仏教と南方地域』(宝蔵館) 坂本慎一『ラジオの戦争責任』(宝蔵館) 山村基樹『戦争拒否11人の日本人』(晶文社) 吉田敏浩『赤紙と徴兵-105歳最後の兵事係の証言から-』(彩流社) 池内了『江戸の宇宙論』(集英社) 池内了『清少納言がみていた宇宙と、わたしたちのみている宇宙は同じなのか-新しい博物学への招待-』(青土社) 関勉『未知の星を求めて』(高知新聞社) 鵜飼秀徳『仏教の大東亜戦争』(文藝春秋) 新村出『南蛮更紗』(平凡社) 新村恭『広辞苑はなぜ生まれたか-新村出の生きた軌跡-』(世界文化社) 末木文美士『日本宗教史』(岩波書店) (以下略) 1922年に全国水平社が創立されて100年の節目にあたる今年、島崎藤村『破戒』の3度目の映画化がされた。 この近くでは名古屋市栄の名演小劇場で上映され、身体の具合が悪くて車を運転して名古屋まで行くことができないので電車を乗り継いで観に行った。 炎天下はとても暑かったが、それはさておいても、いろいろ考えるところがあった。 私が部落問題について考え始めた学生の頃から50年近くの歳月が過ぎたが、あの頃と何も変わらない差別的言辞を耳にして愕然とすることが今もある。 この間に島崎藤村に関連して次の本を読了した。再読も多い。 島崎藤村『破戒』(新潮社) 平野謙「島崎藤村 人と文学」(同書所収) 北小路健「『破戒』と差別問題」(同書所収) 島崎藤村『夜明け前 第1部 上』(新潮社) 『夜明け前 第1部 下』(新潮社) 『夜明け前 第2部 上』(新潮社) 『夜明け前 第2部 下』(新潮社) 『夜明け前』は文庫4冊分で、ともかく長かった。 以前は途中で挫折した同書の念願の読了だったが、飛ばし読みした昔には気づかなかったことに目から鱗が落ちたようだった。 平田学派は幕末維新期の廃仏毀釈に大きな影響を与えた。『夜明け前』には島崎藤村の父である島崎正樹をモデルとして登場するが、平田国学がどのような影響を与えたのかを知ることができる。明治政府による和算の排除と洋算の導入についても同書に登場することも初めて知ったことだった。 また山田風太郎の以下の作品にも島崎春樹(藤村の本名)が登場する。 山田風太郎『魔群の通過』(文藝春秋) 吉村昭『天狗争乱』(新潮社) 『天狗争乱』は新聞連載当時に読んだことを含めると何度目になるだろうか。 吉村昭の作品が歴史小説であるとするなら、山田風太郎は時代小説と呼ぶべきか。私が学生の頃に名古屋の昭和堂書店でアルバイトをしていたときに知った本だった。ようやく読むことができて、50年にわたる宿題を果たしたように思う。 ちなみに天狗党が高富を経由して揖斐から蠅帽子峠を越したのは元治元年(1865)12月、そして越前で武装解除に応じている。武田耕雲斎が斬首されたのを皮切りに、天狗党352名が処刑された。この時の伝説については、天狗党が通過した根尾谷だけでなく徳山谷にも残されている。 大垣藩の私塾・算光堂が明星輪寺に算額を奉献したのは、天狗党の処刑が終わった翌月、元治2年3月のことだった。天狗党と正面から対峙する恐れがあった大垣藩の動揺については浅野五藤治孝光が残した記録からは知ることはできない。 1冊書き落とした。 日高六郎編『1960年5月19日』(岩波書店) 同書巻頭の国会前の写真は濱谷浩の撮影。 濱谷浩については、別に小論を書いたのでいつか公にしたいと思っている。 日高六郎は学生の頃一緒に仕事をしたことがある。 今は懐かしい。 (敬称略をお許しいただきたい) |